台湾と山形の「木の匠たち」の奮闘の証
山形城二の丸東大手門
山形城の二の丸の大手(正面)に当たるのが「二の丸東大手門」です。
枡形と呼ばれる広場を中心に、櫓門や続櫓、高麗門及び土塀で構成された枡形門と呼ばれる形式で、本丸一文字門も同様の構造になっています。
山形城は、本丸及び二の丸が城郭の中心部となっていたため、軍事的な機能だけでなく、藩主の威厳を示す役割も有していました。復原にあたっては、最も資料が残る江戸時代中期・城主堀田氏時代の姿で復原しました。
山形城は三の丸まで含めた城全体では、江戸城、大阪城、小田原城、名古屋城に次ぐ全国5位の広さを誇り、東北地方では最も面積が広い城です。この東大手門は城の大きさにふさわしく、江戸城に勝るとも劣らない規模となっています。近年では映画の中で江戸城のシーンとして使用されたり、CMの撮影に利用されています。
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東大手門の特色
最上氏時代・江戸時代初期の東大手門は、二の丸が堀に張り出す外枡形と呼ばれる形式でした。
その後、江戸時代前期の改修に当たり、二の丸を拡張し、現在見られる枡形を内側に納める内枡形という形式になりました。
この変化は江戸時代初期以降全国的に見られるものです。
ここ、山形城においても戦乱の時代から太平の世へと転換する中で、城の持つ役割が変化していったことを表しています。
一方で、本丸一文字門は外枡形で右に折れる形をとっており、二の丸東大手門では入口から左に折れる形となっています。
本丸と二の丸では枡形の構造や浸入方向に違いが生じています。
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櫓門冠木
使用されている冠木は、長さ13.8m、幅54cmの巨大な部材です。
これだけの大きさで節の少ない国産材を調達することが困難であったため、台湾から台湾檜を調達しています。 -
櫓門
東大手門を構成する建物群の中で一番規模の大きい建物です。
明治初期の菊地新学の写真と絵図面をもとに、現存する石垣から寸法を割り出し復原しました。
櫓の内部構造については図面が残っていなかったため、城内の他の建物の図面を参考にしました。
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高麗門及び土塀
菊地新学の写真と現存する石垣の寸法から復原しました。
土塀には通常、狭間と呼ばれる矢や鉄砲を放つための穴が設けられていますが、菊地新学の写真の写っていなかったことから設けていません。
一方、本丸一文字門では詳細な資料がなかった為、一般的な狭間がある土塀で復原しました。
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石垣の復原
石垣は、積み直しと取り壊された部分を新しく積み上げることを行ないました。
新しい石材は現存する石垣と同じく、馬見ヶ崎川や蔵王温泉から採取した蔵王山系安山岩を使用しました。
詳細情報
住所:山形市霞城町1-7
時間:05:00から22:00
定休:なし