連歌や書を通して見た最上義光
最上義光歴史館 第二展示室
最上義光の業績
最上義光は偉大な業績をたくさん残しました。
この地方の平和を守り住民の安定した生活のしくみをつくりました。
それは農業、生産、交通、交易、宗教、文化など多岐にわたっています。
最も偉大な業績は、巨大な山形城と城下町を整備したことです。
ことのことによって、現在の山形県の中心が山形市になっています。
また、山形市の都市の原型はこのときに形作られました。
彼は1614年の1月18日に69歳に病死しました。
当時の侍の平均寿命は約50歳といわれていたので、彼は長生きをした方かもしれません。
彼が亡くなったとき、悲しんだ4人の家来が後を追って切腹しています。
家来からたいへん慕われていた殿様だったことがわかります。
彼の偉大な業績をしのび、「虎将(こしょう)=虎将軍」と呼んで称えています。
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CP.No.11 最上義光書状
義光が小高城主相馬義胤の家臣伊泉大膳亮に宛てた自筆の手紙です。
この手紙に使用されている黒印は、鼎をデザインしたものです。
義光は大変筆まめな武将です。
またその筆跡から戦国武将のなかでも達筆な武将の一人だったようです。 -
CP.No.12 最上義光消息(複製)
義光が宝憧寺の尊海上人に宛てた手紙です。
二首の古歌を用いて安否を問う消息文(手紙)になっています。
義光の晩年66歳以後の筆で、古典文芸に関する豊かな教養と優れた感性がうかがわれます。 -
CP.No.13 最上義光注『連歌新式』
文禄5年(1596)に、義光が連歌のきまりを一冊の本にまとめて解説したものです。
在京中に連歌について学んだことなどをその都度書きとめて、後からまとめたものと推測されます。
義光の奥書と、これに応える形で当時の連歌師のトップである里村紹巴の奥書が記されています。
本資料から義光の文学的教養の高さと連歌に対する造詣の深さがうかがわれます。 -
CP.No.14 鉄製指揮棒・鉄扇
最上家に伝わった義光所用の鉄製の指揮棒と鉄扇です。
指揮棒は長さが86.5cm、重さが1750gで重さは刀2本分に相当します。
扇は扇面が失われて骨だけのため当時の面影を見ることはできません。
骨は鉄製で重さは575gです。
指揮棒の表面には「清和天皇末葉山形出羽守有髪僧義光」と刻まれ、義光の出自や受領名が示されているとともに、信仰心の厚い武将だったことなどもうかがわれます。 -
CP.No.15 三十八間総覆輪筋兜
最上家に伝わった義光所用の兜です。
織田信長から拝領したと言われています。
兜の鉢は室町初期の気品ある作品です。
錣や眉疵などは義光の時代に改良され、鍬形台には竹に雀の家紋が据えられました。
義光は、慶長5年(1600)の長谷堂の戦いにこの兜をかぶって出陣し、敵の鉄砲隊に撃たれて被弾しました。
しかし、この兜のおかげで命が助かっています。
兜には当時の激戦の様子を伝える弾痕が残っています。重さ3.1kg。
※尚、平成20年3月に利剣と鍬形が復元されました。
詳細情報
住所:山形市大手町1-53
電話番号:023-625-7101
開館時間:9:00-17:00(入館は16:30)
入館料:無料
休館日:月曜日(祝祭日の場合は翌平日)、年末年始、その他臨時休館あり
GWは月曜日も休まず開館しています。(4月27日から5月6日まで)
※常時、ボランティアガイドが常駐し、館内のご案内、展示品の説明のサービスを実施しています。