山形歴史地区
さまざまな時代の山形を感じることができる、山形城跡を中心とした山形歴史地区。
まず、山形の近代化を伝える歴史的建造物だ。
なかでも、日本唯一の明治期の病院建築である山形市郷土館、明治期の代表的な学校建築である山形県立博物館教育資料館、大正期の洋風建築である山形県郷土館「文翔館」は、いずれも国の重要文化財に指定されている。
次に、城下町・山形市を築いた戦国大名・最上義光がつくった山形城跡(霞城公園)だ。当時の姿を伝える二の丸南追手門と、復元された本丸一文字門、二の丸東大手門によって、かつての山形城の壮大な姿を思い浮かべることができる。隣接する最上義光歴史館には義光公が使っていた兜や指揮棒が展示されている。城の堀に流れ込む御殿堰も往時の姿をしのばせる。
このほか、日本最大の土偶である国宝「縄文の女神」を展示する山形県立博物館と、「結髪土偶」を所蔵する山形大学附属博物館、それに与謝蕪村が奥の細道を俳画で表した屏風を有する山形美術館には、各時代の山形の姿を伝える資料が豊富にある。
このなかで特に台湾との深い係わりを感じるのが山形城二の丸東大手門だ。
復元するからには200年以上は維持したいと考え、大手門の印象を決める巨大な梁材には台湾檜を使うことを決定した。しかし、樹齢1500年以上の檜は標高の高い山岳地帯に産地が限られており、調達には困難を極めた。
その中で、台湾の大豊製材所のたいへんな努力により、希少な檜原木を入手することができた。
4年の歳月をかけて1991(平成3)年3月に壮大な二の丸東大手門が完成した。
門は、台湾と山形の「木の匠たち」の奮闘を物語っており、山形県日華親善協会が築き上げてきた台湾との友好関係の精華である。
山形県日華親善協会 会長 後藤完司